少子化対策はねずみ講やマルチ商法と同じ

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 日本は少子高齢化で、年寄は増え続け、年々出生率・出生数は減り続け、若年世代は先細るばかりのようです。そうすると働いて年寄りを経済的に支える現役世代が減る一方、年金暮らしの年寄は増えるばかりということで、産めよ増やせよという少子化対策になるようです。しかし年寄を養うために、赤ちゃんを増やせというのは、赤ちゃんにとっては失礼な話と思います。年寄りを養うための赤ちゃんですか? へんでしょ。ただ赤ちゃんを産んだり、育てやすい社会は築かれた方がよいでしょう。赤ちゃんを産むとなると、社会保険が効かず、全額自腹でしょ。帝王切開は手術なので保険は効くでしょうし、幾らかの出産祝い金等は後でいただけるのでしょうが、妊娠、出産、育児には金はかかるし、時間的余裕は片っ端からとられるしで、経済も時間も痛いです。そこで少子化対策があるのは結構よいです。ただね、仮に出生率や出生数が来年から上がったとしても、1年だけではだめでしょうから、いったん増加したら翌年以降も増加し続けるか、せめて横ばいにしないといけないのでしょう。しかもいったん増加して生まれた赤ちゃんは、70年後には増加した年寄りになるので、70年後には、もっと赤ちゃん数を増加させないといけないのではないですか。そのまた70年後、つまり今から140年後は、もっと増やさないといけないはずです。それが延々毎年毎年、少子化対策で年々増加させ続けなければ維持できないはずです。となると、それって、まるでねずみ講マルチ商法と変わらない気がします。少子化対策に終わりはなく、成功もなく、世界人口よりはるかに多くの出生数を数字の上でははじき出さないといけなくなるはずで、絶対成功しないし、目標や達成、成果もなく、自滅するしかないはずです。ネズミ講マルチ商法って、世界人口よりはるかに多い人々を入会させないと維持できないのと一緒ですよね。年寄りを養うための少子化対策は、ねずみ講マルチ商法のように破綻するでしょう。少子高齢化は当たり前として、その中で何をするのがよりよいことか、やりくりをつけられるかを築く方がよいのではないでしょうか。