映画、’39「嵐が丘」と「素晴らしき哉人生」を見て(’23 10/9)

 ローレンス・オリヴィエヒースクリフは愛憎逆巻く嵐が丘の屋敷と荒野で、早とちりがもとで愛の裏返しの憎しみのとりこになり、復讐の鬼とかす。彼の呪いなのかすべてのものが腐敗堕落不幸に落ちていく。彼の呪いは彼自身をも不幸のどん底に貶めていく。すべてを悲劇としてしまう。しかし彼はキャシーに愛され、あの世で結ばれるということになっている。

 これって彼にとっても周囲にとっても救いになっているが、自分のこととしてひきつけて考えるとつらい面がある。私もこの世や人生を呪い家族に八つ当たりをしてきた。そして今家族は全員病人と障碍者ばかりだ。母はもうろくして特別養護老人ホームで要介護、妻は難病指定で運動障害と認知症の要介護、長女は強迫神経症うつ病、長男は腎臓透析、1級身体障碍の要介護、次女は発達障害統合失調症で2級精神障害。まさに呪われた家族だ。私は誰をも愛していない。妻とは別れたいが、今この状況で離婚手続きができるのだろうか。私は孤独で欲求不満で不幸そのものだ。

 ジェームズ・スチュアート:はジョージとして自己犠牲を払い、周囲の人々を幸せにしてきた。しかしそれは彼自身が決断して行ってきたことだ。そして愛する妻は彼自身の愛によって望んで得たものだ。しかも彼は天使に助けられるし、周囲の人たちの善意によって生きる勇気も与えられる。しかし私は自ら望んで自己犠牲なんてしていないし、運命の呪いにはまり、こんな不幸な状況におとしめられただけなうえ、妻に対しては愛情はなくただセックスしたかっただけだが、それさえもうまくいかない。発達障害相手のセックスではうまくいくはずないのだ。常に欲求不満なうえ、愛情もないので、ただ嫌悪感ばかりでうんざりしていた。もっと早くに別れるべきだったが、ぐずぐずと決断もできず今に至り、自分の人生は取り返しのつかない不幸のどん底に落ちていることを自覚するしかないのだ。私の人生は呪われている。生きている限り救いはなく冬の凍てつくヒースの荒野を我慢して歩み続けるだけだ。そしてただ朽ち果てていくしかない。私も家族も呪われくたばればよいのだ。人生や現実をあきらめることでしか、少しの安楽を得るしかない。ジョージのせりふ「生まれてこなけりゃよかった。」、人生や現実は苦痛ばかりだ。